企業の危機管理 No.1
1.3月11日、東京
3月11日、週末を控えた昼間、東北を襲った地震。テレビ報道の第一報は死者10数名。
震源地から離れた都会、東京でもビルが大きく揺れ驚きはあったが、こんな大きな被害になるとは想像もしなかった。
某大手電機メーカーの研修をしていた講師が語る。ハイテクビル、大きな揺れが高層階では増幅する。緊急のアナウンスが保安室から流れるがビルの責任者からのアナウンスは無い。
勿論、エレベーターは停止。降りるのは非常階段しかない。しかし、研修生と講師が話し合い、結局、17時まで研修を続行。それから、帰宅を急ぐ電機メーカーの社員は、当日、家路に帰れない人が多かった。
2.3月11日、仙台
JR仙台駅で、震災に遭遇した大阪出身のH氏親子。東北の名門大学に進学が決まり、住居を探しに来ていた。JR仙台駅は閉鎖、全ての交通網が遮断された。帰阪は無理、駅から徒歩10分ほどの小学校に非難。
翌日、H氏は僅かな情報を頼りに駅へ向け歩いたところで、交番の案内に目が止まる。山形や青森、北への道路は通行可。たまたま、通りがかったタクシーに飛び乗り、山形空港へ。
空港内は空席待ちの乗客で一杯。結局、山形からの空路は諦め、JR山形へ移動。そこで、新潟行きのバスに乗車、新潟空港へ。夜、大阪伊丹に到着。翌日に帰れたのは幸運だったとH氏は振り返る。
3.3月11日、福井
某外資コンピュータシステムI社の社長A氏は福井に出張をしていた。
帰京は無理と判断した彼は石川県に移動。本社の遠隔会議システムに参加。その前に全権限を災害対策本部長の副社長S氏に委任していた。
震災後僅か4分で対策が始動。社員の安否、事業所の被災状況などを1時間後には確認出来ていた。明文化されたマニュアルが有り、それを元に訓練を行っていたからこそ機敏な対応が可能になった。
翌日には、被災地に生活物資、補修部品を届けるルートを確保。直ぐに顧客対応を実施し、機器の修復などの対応を完了できた。グローバル企業のI社は世界で大規模な災害復興を経験し、社員が共有している。
危機の時、指揮命令系統が明確で、それぞれの役割を認識していることが重要だ。トップ不在でも俊敏な行動がとれたI社がそれを示している。
(Written by 川下行三 11/03/15)