盛者必衰の理をあらわす No.2
1.コダックの倒産
1月19日、イーストマン・コダックがニューヨークの連邦地裁に日本の民事再生法にあたる連邦破産法を申請。1880年(明治13年)創業の同社は、130年の歴史に幕を閉じた。
世界でフィルムと言えばコダック、写真フィルムの代名詞でもあった。
1935年(昭和10年)35ミリフィルムを発売、その後、米国でのカメラの8割、フィルムの9割を同社が生産した。
技術力のある同社は1975年(昭和50年)他社に先駆けてデジタルカメラを開発。しかし、収益の高いフィルム事業を圧迫するデジタルカメラを敬遠し、日本のメーカーに市場を席巻された。
2.健闘する富士フィルム
日本でフィルムと言うと、富士フィルム。正に米国のコダックと同じ国内市場で圧倒的な王者であった。しかし、富士フィルムは、1980年代から膨大な利益を生むフィルムからデジタルへと舵を切った。
3つの大きな柱を立てて戦略転換をはかった。「フィルム部門からできる限りの資金を引き上げる」「デジタル化に備える」「新たな事業部門を立ち上げる」。
2000年、富士フィルムの収益の60%はフィルムであったが、2011年3月期の売上げに占めるフィルムの構成比は1.2%にまで下がった。2006年から2011年まで構造改革費用を3,500億円計上し改革を実行。
富士フィルムの2度に渡る構造改革を断行した古森社長は、事業構造の変化もあるが、「筋肉質な会社に生まれ変わった」と述べている。経営トップの手腕が大きい。
3.変化対応が生き残る道
今、まさに、フィルムカメラからデジタルカメラ、そしてカメラ付き携帯電話、カメラ付きスマートフォンへとユーザーの嗜好は変化している。
iPhone(またはスマートフォン)で写真を撮りFacebookに投稿する。
そこには現像もデータ保管も必要がない。写真データはFacebookのサーバーに有り、ユーザー自身のマイアルバムに蓄積される。ネット接続の環境が有れば、いつでも閲覧、利用出来る。
DTP事業を展開していたカメラのキタムラも2006年から事業構造を転換。
映像・写真を自ら作り出す製造小売業(SPA)を戦略に掲げ、デジタルプリント、フォトブック、ネット販売、こども写真館など変化を遂げた。
盛者必衰の理をあらわす。コダックは成功したからこそ、逃げ出すことが出来なかった。
成功から脱皮した日本企業は強い。
(Written by 川下行三 12/01/31)